水底を蹴るために深く沈んで

ありふれた孤独と創作の記録。

どうしようもない人

最近、YouTubeで4ma15さんの『世迷言』という曲を、毎日イヤホンのボタンを押してリピートしながら聴いている。すごい憂鬱なメロディと、全部諦めたくなる暗い歌詞が、心地良い。

ちょっと前に、Twitterのタイムラインで、なんかネチッこいことばっかりつぶやいてる人いるなあ、なんでフォローしたんだろう、と、思ったら4ma15さんのTwitterだった。

最初は、こんなに良い曲が書けるのに、全然生活に満足してない、変な人だなあ、と思った。

でも、最近、小説を書けない日々が続いていると、なんでもうまくやれる人だったら、うまくやれない人の心に響くような作品は作れないんじゃないかと、逆説的に、開き直りのような考えに至った。

リスペクトを込めて、わたしも、4ma15さんみたいな、どうしようもない人でありたい、と、思う。

昨日、文学の師匠と電話で話して、お前みたいなやつは葛西善蔵を読め、と勧められた。

今日は12時頃に起きて薬局に行ったのだけど、それからすぐ帰ってきて、ストーブの前で寝そべってグダグダとYouTubeのお笑い動画を観ていたら、気付いたら15時過ぎになっていた。5日くらいシャワー浴びてないけど、取り敢えず外に出て、本屋でも行ってみるか、と思って家を出た。

梅田の茶屋町ジュンク堂と、阪急梅田駅の紀伊国屋に行ったが、両方とも葛西善蔵の『子をつれて』という本はなくて、絶版になったようだった。

ジュンク堂で偶然みつけた西村賢太の『小説にすがりつきたい夜もある』という本に、葛西善蔵論が載っているらしかったので、最近Twitterで知り合ったしいなさんが好きと言っていた舞城王太郎の『阿修羅ガール』と、新潮新人賞の審査委員の中村文則『私の消滅』と田中慎弥『共食い』を、西村賢太以外の3人は読んだことなかったので一緒に購入した。葛西善蔵の本は絶版なので、取り寄せることもできなかった。青空文庫にあるみたいだから、あとで読んでみようと思う。

18時くらいから、茶屋町のポパイに入って、3時間くらい西村賢太舞城王太郎Twitterを回しながらちょっとずつ読んでいる。

西村賢太の『小説にすがりつきたい夜もある』に入っている「凶暴な自虐を支える狂い酒」という文章が、葛西善蔵論で、短い文章なのですぐ読めて、葛西善蔵の人となりをザックリ知ることができた。

葛西は、小説を全然書かず、酒浸りで、すぐに暴力を振るい、金を借りてる相手にもグタグタと文句を言う人だったらしい。

4ma15よりどうしようもない人だなあ、と思った。

だが、あの西村賢太(も、まあどうしようもない人だけど)が、この5人だけが私小説作家と認める作家だと、書いているなかの一人が葛西善蔵である。

4ma15さんの音楽も、ある意味私小説的で、どうしようもない人じゃなきゃ書けないものなんだろう。

やっぱり、わたしも、どうしようもない人でありたい、という気持ちが強くなった。

どうしようもない人はどうしようもない人で、どうしようもない人にしか作れない芸術を作ればいい。

そう思うのでした。