水底を蹴るために深く沈んで

ありふれた孤独と創作の記録。

弱い人間の自己肯定

白紙のノートに向き合って、なんで書けないんだろう、と思う時間が増えた。

なにがしたいんだろう?

なにを書きたいんだろう?

と、思ったときに、自分が表現したいのは、楽しいとか、幸せとか、そんなものじゃなくて、生きることの辛さとか、だれにも理解してもらえない孤独とか、そういうものから産まれる血の滲むような文章なんだと気付いた。

文学に触れている時間が楽しくて、スラスラと文章を書ける人間もいると思うし、そういう人を否定するわけじゃないけど、わたしはそういう人間にはなれないなと思う。

わたしが書きたいのは、うまくいかない人の一隅を照らすような小説で、わたしがなんでも卒なくこなせる人だったら、そんな文章は書けないんじゃないだろうか。

自分のなかの理想像を追い求めて、苦悩して、結局死ぬまで理想は叶わないくらいでいいと思う。

すこしずつ、苦しんで、考えながら小説を書けばいい。